昭和58年(1983年)に第38回国民体育大会(通称:あかぎ国体)でみなかみ町(旧月夜野町)を会場に開催されたホッケー競技会の歴史を振り返ります。
本大会は、テーマを「あかぎ国体」とし「風に向かって走ろう」(原沢尚子さん:群馬県立沼田女子高等学校3年の入選作品)をスローガンにかかげ、188万県民の総力を結集して開催されることとなりました。県下24市町村において46種目の競技が行われることになり月夜野町ではホッケー競技が開催されました。
月夜野町史※1及び近隣市町村史、県内市町村広報等を基に記載しています。
※1:昭和61年1月(1986.1)発行 月夜野町史編さん委員会編
昭和53年(1978年)
12月 町議会で開催決議
- 月夜野町議会において第38回国民体育大会秋季大会ホッケー競技を月夜野町において開催することを全会一致で決議
第38回国民体育大会開催に関する決議 昭和58年に開催する第38回国民体育大会は、月夜野町のスポーツ振興と文化の発展に寄与するところ極めて大である。
出典:第38回国民体育大会 開催申請書(昭和54年6月1日)
よって、月夜野町では町民総ぐるみのもとホッケー競技を開催し、明るく豊かな町民生活の基礎づくりを推進するものとする。
以上決議する。
昭和53年12月15日
月夜野町議会
昭和54年(1979年)
2月16日 日本ホッケー協会及び群馬県による視察
- 中央競技団体及び群馬県より正規視察に来町。主会場、練習会場などを視察
日本ホッケー協会浜岡晋専務理事
群馬県山宮国体準備室長ほか4名
4月1日 担当職員の配置
- 町教育委員会に国体担当職員を配置
- 県および関係機関、競技団体の指導をうけ準備を進める
10月14日 ホッケードリブルリレー
- 第24回町民体育大会(会場:総合グラウンド)にて、新たに採点競技にホッケードリブルリレーが加わる。
昭和55年(1980年)
4月1日 準備室設置
- 月夜野町国体準備室を設置。
- 専任職員1名、兼任職員2名を配置。準備の第一歩を踏み出す。
7月16日 あかぎ国体 開催正式決定
- 第38回国民体育大会(冬・夏・秋)の群馬県開催が正式決定
- 昭和36年に開催を希望してから19年を経て決定
7月21日 国体旗授与式
- 県庁前庭にて清水群馬県知事から藤井前橋市長(関係市町村代表)へ授与
[広報まえばし 昭和55年(1980年)8月1日号]
出典:広報まえばし 昭和55年(1980年)8月1日号
県のご期待にこたえて、われわれ会場をお引き受けした市町村は、国体成功のために最善を尽くすことを誓います。
前橋市長 藤井精一
7月23日 町実行委員会設立
- 第38回国民体育大会月夜野町実行委員会設立
- 常任委員会、専門委員会、8つの部を設置。町民一体となって開催する体制を確立
- 総務調整部
- 接伴部
- 保健環境・衛生部
- 輸送・宿泊部
- 施設・会場整備部
- 保安・警備部
- 競技・式典部
- 町民運動部
昭和58年(第38回)国民体育大会の本件開催は、7月16日、日本体育協会理事会で正式決定を見ました。 これに伴い、ホッケー会場の本町では、7月23日、運営準備態勢を整えるために、実行委員会の設立をかね総会を開催しました。町当局、議会議員、教育、体育関係者のみならず、町内外、各関係機関代表者の出席をいただき、盛会裡に実施されました。
出典:町報つきよの55.8.1号
席上、実行委員会委員、役員の任命、経過説明等があり、国体会場地としての位置づけが明確化され一層盛り上がりました。
委員会の会長である西山町長より「町民が一体となって取り組めるよう努力し、準備に万全を尽くしていきたい。」と意欲的なあいさつがあり、国体成功に向け、新たな気持ちを出席者一同確認しあいました。
町実行委員会は170名余の委員で組織し、この中から常任委員を中心として常任委員会をつくり、総合企画、運営、施設整備から、輸送、宿泊、美化など、国体開催に伴う全般事項について審議し、具体化を図るようになっております。また、必要に応じ、細部事項についての専門員会を組織し、関係方面の人を交えて、専門分野を検討していく体制もあります。
事務局体制は事務局長(月夜野町助役)を中心として別掲のように8つの部を設け、専門委員会の答申を参考に準備を進める組織となっています。
- 町民の意識の高揚と国体を成功させるために、月夜野町民運動推進協議会設立
昭和56年(1981年)
4月1日 国体準備室から国体事務室に改組
- 月夜野町国体準備室を月夜野町国体事務室に改組。室長のほか、専任職員2名配置。
5月13日 実業団役場チーム結成
- 昭和57年に控えたリハーサル大会に出場するため、月夜野町役場職員を構成員とする実業団チーム結成
8月 役場チーム健闘
- 月夜野町役場チームが島根県で開催された「くにびき国体」のリハーサル大会「第32回全日本男子実業団選手権大会(島根・仁多町)」に出場
- 初出場ながら健闘しベスト8に勝ち進む。
11月26日 滋賀県伊吹町から国体旗の引継ぎ
- 第36回びわこ国体終了に伴い、滋賀県伊吹町より田中音一事務局長(ほか、1名)来町。
- 国体シンボルマーク旗の引継ぎ式が行われた。
昭和57年(1982年)
4月1日 事務室の組織強化
- 国体事務室強化のため、専任職員1名増員。(競技団体の推薦を受け、町立第一中学校教諭が週2日従事)
8月20日~23日 リハーサル(実業団)大会開催
- リハーサル大会(第24回全日本男子実業団ホッケー選手権大会)を開催し、本大会に備えて経験を踏んだ。
- 全国各地から27チーム出場。
- 選手、監督、視察員、その他応援者など800名
- 成績
- 優勝 マツダオート広島(広島)
- 準優勝 飯能市役所(埼玉)
- 3位 今市市役所(栃木)
- 4位 三菱化成黒崎(福岡)
11月25日、12月10日 島根県横田町・仁多町より国体旗を引き継ぐ
- 大会まであと324日と迫った11月25日と、309日に迫った12月10日、くにびき国体でホッケ-競技が行われた島根県横田町と仁多町から、それぞれ国体旗が送られる。
- 横田町から佐々木町長、仁多町から岩田町長ら国体関係者が来町。
昭和58年(1983年)
7月25日 第4回実行委員会総会
去る七月二十五日町営老人福祉センター大広間において、本年十月開催される、県・町民待望の「あかぎ国体」の成功を期し、第四回月夜野町実行委員会の総会が開かれ、高橋芳平会長のあいさつと、去る七月二十一日町議会で承認された、石坂貞三事務局長(助役)の紹介がなされ、石坂事務局長の力強いあいさつがあり、引続いて、安倍弘行県ホッケー協会長、小林雅男議会議長の祝辞を頂戴し、五十七年度事業及決算報告、五十八年度事業計画及予算等について審議決定し、愈々本番の成功に向かって活動を開始した。
出典:町報つきよの58.8.20号
なお本年度の予算関係は、実行委員会費五九〇万、大会運営費三〇七〇万、炬火リレー費八一万円で。主な事業は1.企画総務関係、2.施設整備関係、3.競技式典関係、4.輸送観光関係、5.宿泊衛生関係、6.保安警備関係、7.案内接伴関係、8.町民運動関係等、特に町民の皆様方にご協力を願う事業は、町民運動の実践項目の推進、花いっぱい運動の展開、環境美化運動の推進、オアシス運動の展開等です。半世紀に一度と云われるこの「あかぎ国体」ホッケー競技会成功の為一層のご支援ご協力を切望いたします。
10月11日 炬火リレー
- 県全市町村を四ヶ所で採火された炬火がそれぞれのコース(赤城コース・岩宿コース・群馬の森コース・相俣コース)に分かれてリレーされる。
- 10月8日に赤城で採火され、10月11日、10時24分(予定)に上牧で水上町より引継がれる。
- 第1区間:月夜野中学校生徒(協会注:旧月夜野中学校(みなかみ町上牧))
- 第2区間:自動車
- 第3区間:利根商業高校生徒
- 第4~第6区間:第一中学校生徒
10月16日~10月20日 国民体育大会(秋季大会)開催
- 実施本部体制を確立し、町役場職員を始め農協職員、隣接の新治村役場職員の協力を得て町民総参加で準備を進め運営に万全を期した。
- 選手、監督、視察員など1,200名
- 期間中の応援者、観客15,000名
- 地元出場の少年男子利根商業チームが最終日まで激戦を展開し健闘
昭和59年(1984年)
4月5日 大会記念碑建立
国体開催を記念し、月夜野町総合体育館前に記念碑を建立してこれを後世に残すこととなった。
表面碑文揮毫 | 月夜野町長 高橋芳平 |
裏 面 撰 文 | 月夜野町教育長 高井富二 |
裏 面 揮 毫 | 月夜野町社会教育主事 植茶智龍 |
石 工 | 月夜野 阿部石材 阿部正晴 |
工 事 費 | 1,000,000円 |
竣 工 | 昭和59年4月5日 |
7月5日 第38回国民体育大会月夜野町実行委員会解散総会
- 解散総会議事
- 報告第1号 専決処分承認について
- 議案第1号 昭和58年度事業報告について
- 議案第2号 昭和58年度決算について
- 議案第3号 体育委協会基金について
- 議案第4号 町民運動推進に関する決議案採択について
町民運動推進に関する決議趣意書
第38回国民体育大会(あかぎ国体)は、成功裡に幕を閉じ、本町でも、ホッケー競技会を担当し、手作り国体として、長年の夢が花開き、大成功のうちに終了することができました。
特に、 町民運動の推進、町民各層による大会運営など文字どおり1万1千町民の取り組みが成功の大きな要因であったといえます。
町の持てる力を結集し、国体を立派に成功させたこの貴重な体験と教訓を生かし、町の目標である「活力と、安らぎのある、住みよい町」の実現に努力しなくてはなりません。
それにはとりもなおさず、国体を契機に進めて参りました町民運動を更に推進し、実践することが、町づくりの大きな原動力であり、ポスト国体の課題でもあります。
そこで第38回国民体育大会月夜野町実行委員会の解散にあたり、町民各層の代表でもあります本実行員会委員一同で町民運動推進に関する決議を採択いたしたくご賛同を求めるものです。
昭和59年7月5日
第38回国民体育大会月夜野町実行委員会
会 長(町 長) 高橋 芳平
副会長(議 長) 小林 雅男
〃 (教育委員長) 桑 原 力
〃 (教 育 長) 高井 富二
あかぎ国体月夜野町町民運動推進協議会
会 長 阿部 実
決議
我々月夜野町民は、町の持てる力を結集し、第38回国民体育大会秋季大会ホッケー競技会を成功させた。この貴重な体験と教訓を生かし、町の目標である「活力と、安らぎのある、住みよい町」実現のため一層努力を積み重ねなければならない。
ここに第38回国民体育大会月夜野町実行委員会の開催にあたり、昭和55年10月に制定された町民憲章の精神をふまえ、本実行委員会の総意に基づき提唱された次の5項目を柱とした、町民運動を全町民挙って実践し、これを更に推進することを決意する。
一、笑顔で元気に働き、楽しい家庭をきずき、社会を明るくする運動
一、自然を愛し、町をきれいにする運動
一、郷土の文化をはぐくむ運動
一、スポーツに親しみ、健康な体を作る運動
一、理解と信頼をもって、親切なふれあい運動
以上、決議する。
昭和59年7月5日
第38回国民体育大会
月夜野町実行委員会委員一同
記念品と大会概要の配布
- 実行委員会解散式後、国体記念の湯呑み及び大会概要が各戸に配布された。
大会概要は、参考資料集でご覧いただけます。